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報告15 史跡荒神谷遺跡青銅器出土復元整備地の状況について 市議会全員協議会資料(平成26年9月26日) | 出雲市

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史跡荒神谷遺跡青銅器出土復元整備地の状況について 1.経緯

平成26年9月議会において、保科孝充議員から「国宝出土地としてふさわし い史跡公園へ整備してほしい」旨の一般質問が出され、付随して「銅剣、銅矛が なくなっているとの声も聞く」との発言を受け、「銅矛が1本少ない」との報道が なされた。このことから、平成元年等の整備当時の状況及び現地の状況について、 調査を行いましたので、下記のとおり報告します。

2.整備後の経過

①平成元年度 出土地全体の遺構復元、銅剣模鋳品の設置

②平成2年度 銅鐸・銅矛模鋳品の設置

③平成7年9月放送のNHK番組映像において、銅矛が1本少ないことを確認

④平成9年1月、学研発行『出雲王権は実在した!?』の写真に、銅剣1本がな い箇所を確認

⑤平成14年度 整備地全体に苔が繁茂したため、元の整備地盤に上塗りする形 で補修工事を行う。

3.状況調査結果

◆銅矛

報道のとおり、11号銅矛1本が欠失している。

欠失した時期は、上記③から平成7年以前だということが分かる。

◆銅剣

観賞デッキから見て、左端のA列1号(一番手前)銅剣、左から2番目のB列 15号銅剣が欠失している。

A列1号銅剣を留めていた金属基盤は、上記⑤工事の上塗りによって覆われて いた。このことから、A列1号は、少なくとも平成14年以前に欠失していたこ とになる。

B列15号銅剣を留めていた金属基盤とピンが見え、明らかに欠失している。 その時期については、上記④から平成9年以前であることが明らかとなった。

C・D列の銅剣は、設置当初写真と比較し、変わっていない。 よって、銅矛1本と銅剣2本が欠失していることを確認した。 4.国・県の手続き

この件に関し、国及び県に対し行う手続きは下記のとおりである。

(1) 島根県教育委員会教育長に対し、これまでの経緯を含めた顛末書を提出 する。

(2) 国(文化庁)に対し、国史跡のき損届を提出する。

報告 文4

平 成 2 6 年 ( 2 0 1 4 ) 9 月 2 6日

(2)

5.今後の方向性

まず、柵や木階の腐朽したものについては、なるべく早く新しいものに取り替 える修繕を行う。

欠失している青銅器は、専門業者から見積を徴収したうえで、方法等も含め文 化庁や県とも協議し、検討を開始する。

苔が繁茂し、黒くなっている地面部分については、奈良文化財研究所の専門家 に実見していただき、指導を得たうえで、修復方法について検討を進めていく。

(3)

3 史跡荒神谷遺跡青銅器出土復元整備地の状況【銅矛】

銅鐸・銅矛出土地復元整備工事後写真【平成 3 年(1991)4 月 11 日】

NHK 映像マップみちしる~新日本風土記アーカイブス~ より

「島根の遺産 斐川町・荒神谷遺跡」【平成 7 年(1995)9 月 29 日放送】

11号銅矛

11号銅矛欠失

(4)

現在の状況

11号銅矛欠失

留める金属 基板とピン

(5)

5 史跡荒神谷遺跡青銅器出土復元整備地の状況【銅剣】

銅剣出土地復元整備工事後写真(平成元年(1989)

「出雲・最新状況レポート 原初出雲紀行 豊田有恒出雲の遺跡を巡る」平成 9 年 1 月末訪問

『出雲王権は実在した!?』学習研究社(1997)

B列 15 号銅剣欠失 A列

B列 C列

D列

(6)

現在の状況

B列 15 号銅剣

欠失

A列 1 号銅剣欠失

溶接金属基板

(7)

7

史跡荒神谷遺跡青銅器出土復元整備地の状況【出土地全体】

整備直後の出土地全体

現在の状況(苔が全域に繁茂している)

参照

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